ライオンズクラブとはなにか?ライオンズクラブは単なる社交クラブでもなく、また慈善団体でもない。
各ライオンズクラブは国際協会を構成する一単位で、クラブ会員の力を結集して諸般のアクティビティを実行する社会奉仕団体である。

【アクティビティ】・・・ライオンズクラブがその地域社会に対して行うあらゆる奉仕活動のこと。

ライオンズクラブ国際協会の歴史
1917年 アメリカ合衆国シカゴで誕生。
創立者メルビン・ジョーンズが、実業界・社交界など各種団体の指導者達に呼びかけて、社会奉仕団体を結成する。
1925年 国際大会に於いて、ヘレン・ケラー女子より盲人援助を訴えられ、「視力保護と視覚障害者福祉」がライオンズクラブ奉仕活動の大きな柱となる。
以後二度にわたる世界規模の『視力ファースト・キャンペーン(CSF)Ⅰ~Ⅱ』により約4億ドルを交付。
1947年 国際協会は、国際連合経済社会理事会(ECOSOC)顧問となる。
1968年 国際協会は、ライオンズクラブ国際財団(LCIF)を設立する。

日本と福岡に於けるライオンズの歴史
1952年 L.石川欣一(ジャーナリスト・翻訳家)が、東京LCを設立する。
1955年 L.貝島義之(財閥・実業家)が、福岡LCを設立する。
同氏は同年国際大会に於いて会員増強コンテスト第一位に入賞する。
1959年 熊本LCのL.宮崎松記(医学博士)の呼びかけにより、ハンセン病(ライ病)撲滅の為のインド救ライ事業始まる。
L.石川欣一が、日本初の国際理事に選出される。
1966年 東京霞ヶ関LCと日本動物福祉協会により日本盲導犬協会が発足する。
1967年 「黄色い血」が社会問題となり、保存血液を売血から献血により確保する為、各地のLCが献血運動のスタートを切る。
1969年 日本(亜細亜)初の国際大会が東京で開催される。
1970年 L.貝島義之が、国際親善大使の称号を授与する。
1974年 L.貝島義之が、前人未到300人スポンサーの功績により2度目の国際協会会長賞を受賞する。
1977年 東洋・東南アジア・フォーラムが福岡市大濠公園で開催される。
L.貝島義之の勧めでL.村上薫(裏千家茶道家)が、東京LCより福岡舞鶴LC(当時日本最大の単一クラブ)に転籍する。
1978年 国際大会が東京で開催され(2回目)、L.村上薫が対立候補を圧倒し、日本人(亜細亜)初の国際第3副会長に選出される。
1981年 福岡舞鶴LCより、L.村上薫が、国際会長に就任する。
1982年 L.村上薫が、国連平和賞を受賞する。
1987年 L.梅田敏秀(実業家・代議士秘書)が、福岡大名LCを設立する。
2012年 福岡市で2回目の東洋・東南アジア・フォーラムが開催予定。